
「元帥山本五十六海軍大将墓」 長岡市長興寺内
山本元帥の墓はここ長岡と東京多摩霊園。
ここは「山本家」なので当然幕末の「山本帯刀」もある。
長岡藩が朝敵であったため
養祖父帯刀の墓は非常に質素であり、
五十六のはそれよりもなお質素に造られたため
戦死した陸海軍将官中、最も粗末な墓とされている |

「墓前説明文」
ちなみに昭和十八年六月五日に国葬された際の
山本元帥の葬儀委員長は米内光政大将
司祭長は同期の塩沢幸一大将であった。
戒名は「大義院誠忠長陵大居士」 |

「元帥山本五十六海軍大将生家跡」
山本五十六記念公園敷地内にある。
ここには「山本神社」建立の計画があったが、
米内と山本の同期ヘッドの堀悌吉が
「山本が迷惑する」と反対したため
公園として整備された |

「位牌」
生家の中にある位牌
手をあわせましょう
左の張り紙「物を盗むと罰があたります」 |

「胸像壱」
生家内になぜか鎮座している
山本なら「こんな無用なものを造りやがって」
と嫌ったかも知れない |

「胸像弐」
山本五十六記念公園内にある元帥の胸像
本来海軍軍人には勝海舟以来銅像嫌いが多く
山本も米内もそういった銅像がきらいだった |

「元総理米内光政海軍大将像」
盛岡八幡宮境内にある |

「米内光政像」
米内光政像は軍服ではなく蝶ネクタイの背広 |

「救国の偉人 米内光政墓」
盛岡市円光寺内
緒方竹虎の字で「米内光政墓」と記されている
葬儀委員長は山梨勝之進
戒名は「天徳院殿仁海光政大居士」 |

「米内光政像碑文」
撰文は小泉信三先生
米内光政像碑文
「米内光政氏は盛岡の人
若くして海軍に入り進んで大将大臣に至り又内閣総理大臣となる 昭和二十年八月太平洋戦争の終局に際し米内海軍大臣が一貫不動平和の 聖断を奉じて克くわが国土と生民をその壊滅寸前に護ったことは永く日本国民の忘れてはならぬところである 逝去十三年至誠沈勇のこの人今も世にあらばの感を新たにしつつこの文を撰ぶ
昭和三十五年十月
後進 小泉信三」 |